離床センサー未設置の施設の責任
公開日:2019.07.29 更新日:2019.08.22
こんにちは。
弁護士の中沢信介です。
弁護士の中沢信介です。
今回は、前回に引き続き、トイレの転倒に関する問題を取り上げたいと思います。3回目ということもあり、法的な概念(安全配慮義務)の中身についても、少し踏み込んで説明をしていきたいと思います。
- 中沢弁護士
- こんにちは。先日は結婚式にお招きいただきありがとうございました。
- A次郎さん
- こちらの方こそありがとうございました。久しぶりに高校時代の同級生が集まって楽しかったですね。
- 中沢弁護士
- そうですね。披露宴もアットホームで素敵でした。特に、A次郎さんが新婦に花束を渡すシーンは感動的でした。これからは、奥様と素敵な家庭を築いていくためにも、より一層勉強して精進していかなければなりませんね。今日は過失についてだけでなく、施設や医療者側の安全配慮義務についても知りたいという話でしたね?
- A次郎さん
- はい、よろしくお願いします。
質問
- A次郎さん
- 前回トイレの転倒に関する裁判例を勉強しましたが、もう少しトイレの転倒に関する事案を教えてください。
- 中沢弁護士
- それでは今回は、転倒の危険性があるためナースコールを使用しなければならない施設利用者が、ナースコールを押してくれない場合に、どのような対応をしなければならないのかという点について勉強していきましょう。
判例の事案
- 中沢弁護士
- 今回取り上げる裁判例は、平成29年2月2日、大阪地方裁判所で判決となった事件です。
特別養護老人ホームにおいて、短期入所中であったXさん(事故当時79歳・男性)が、居室内のトイレで転倒し、この事故をきっかけに、植物状態に近い状態になり、意識を回復することのないまま約2年8か月後に死亡してしまった事件です。 - A次郎さん
- 今回のXさんは亡くなってしまったのですか……前回のXさんは、転倒により、要介護2が要介護4になってしまいましたね。高齢者の転倒は、非常に重い結果をもたらすことになりますね。
- 中沢弁護士
- だからこそ、しっかりとした対応をする必要があるのだと思います。
Xさんの状況についてですが、パーキンソン症候群等の影響で、歩行の際にふらつきがある状況で、事故の1年半くらい前に、身体障害者等級2級(両下肢機能著しい障害2級及び両上肢機能軽度障害6級)と認定され、第1種身体障害者(バス介護付き)の身体障害者手帳の交付を受けている状況でした。また、Xさんは、事故当時、要介護2の認定を受けていました。 - A次郎さん
- ということは、前回同様、おおむね、日常生活動作について部分的な介護を要する状態ということですね。
- 中沢弁護士
- そのため、Xさんは、普段から歩行の際は杖を使用していました。本件の施設の利用を開始したのは、平成22年12月20日で、1カ月に1週間から10日程度、短期入所を繰り返していました。
そして、ここが一番のポイントですが、本件転倒事故の直前(19日前)である平成23年9月11日、Xさんは、居室(個室)のトイレ内で転倒して、その際、頭部を打撲し、頭痛や嘔吐等の症状が生じました。 - A次郎さん
- そのような状況であれば、注意して見守りをしなければなりませんね。
- 中沢弁護士
- しかし、ここで問題がありまして、Xさんは、居室内のトイレに行く際、職員から、ナースコールを使用するよう再三注意されていたのですが、これに応じず、自分一人でトイレに行ってしまうような状況でした。9月11日の転倒事故まで、ずっとナースコールを使用してくれない状況が続いていましたし、9月11日の転倒後も、その直後、何度かはナースコールを使用してくれたのですが、またすぐに一人でトイレに行くようになってしまいました。職員としては、9月11日以降、転倒後ということもあり、ナースコールを使用するよう何度も注意していたようです。ただ、Xさんはこの指示に従ってくれませんでした。
- A次郎さん
- Xさんもトイレについてきてほしくなかったのでしょうね。シニアにとっても、プライバシーを確保したいという気持ちがあるのは当然ですからね。前回の事案も、同じような感じだった気がします。
- 中沢弁護士
- もちろんご本人の意思は最大限尊重しなければならないと思うのですが、先ほどA次郎さんが指摘してくれた通りで、転倒してしまうと重大な怪我を負ってしまい、取り返しのつかない事態となることもありますので、非常に難しい問題です。
- A次郎さん
- 本当に悩ましい問題です。
- 中沢弁護士
- そうした経緯の中、Xさんは、平成23年9月23日から短期入所を再開したところ、その7日後の同月30日午前3時55分頃、転倒事故が発生してしまいました。
- A次郎さん
- どのようにして転倒事故が発生したことがわかったのですか。
- 中沢弁護士
- Xさんからのナースコールで、転倒が発覚しました。職員が、居室に赴いてみると、Xさんは、ベッドに横たわっていました。Xさんは、職員の声掛けに対し、「こけたみたい」、「いつこけたか分からん」、などといっていました。
その後、Xさんは、午前9時40分頃、病院にて、右急性硬膜下血腫を発症していることが判明したため、すぐに2回手術を受けたものの、意思の疎通が困難な植物状態となり、2年半後に、亡くなりました。
争点
- A次郎さん
- 今回問題となったのはどのような点でしょうか。
- 中沢弁護士
- 今回争いとなったのも、施設側に安全配慮義務違反があったかという点です。
- A次郎さん
- 前回もその安全配慮義務が問題となっていましたよね。
- 中沢弁護士
- 福祉・介護の現場だと、大体この安全配慮義務が問題となります。この講座も3回目になりましたので、安全配慮義務の法的な中身も少し触れたいと思います。
- A次郎さん
- あまりそういった法律の勉強をしないので、いい機会だと思って、勉強してみます。
- 中沢弁護士
- 安全配慮義務違反があるか否かという点を検討するにあたって具体的に問題となったのは、施設側が、①ポータブルトイレの設置、②衝撃吸収マットの設置、③離床センサーの設置をする必要があったのかということです。
判断
1.安全配慮義務の概要
- 中沢弁護士
- それでは早速ですが、安全配慮義務というものについて説明をしていきます。わかりやすくするため法的な正確性を犠牲にする部分もありますが、その点はご了承ください。
- A次郎さん
- 大雑把にわかれば十分です。
- 中沢弁護士
- まず、施設の利用開始にともない利用者と施設との間では、介護契約が締結されます。この契約に基づき、施設は利用者にサービスを提供します。そして、利用者は、その対価として、介護料・施設利用料を払うことになります。これが、介護契約の主たる内容です。
- A次郎さん
- これは当然かなと感じます。
- 中沢弁護士
- これにとどまらず、施設側は、一般に、利用者に対し、介護契約の付随義務として、利用者の生命及び身体等を危険から守るよう配慮すべき安全配慮義務を負っています。
- A次郎さん
- 普段から施設利用者の安全には気を遣っていますが、改めて法的に説明を受けるとそういうものかぁ、という感じですね。
- 中沢弁護士
- 現在の裁判では、そのような義務を負担していることを前提に、その義務の中身がどのようなもので、その義務に違反したのかどうかという点が争いになります。
- A次郎さん
- では、その義務の中身とか、義務違反があったかというのはどのような枠組みで判断されるのですか。
- 中沢弁護士
- その事故の結果が予見可能であったか否かを検討し(予見可能性)、その事故の結果が予見可能であった場合には、その結果を回避するために、本来とるべき行動がどうあって、それを実際にやっていたのかという点を検討します(結果回避義務違反)。
- A次郎さん
- なんか難しそうですね。
- 中沢弁護士
- といっても、さっきお話した事情を具体的に考えれば、私の講座を3回も受けてくれているA次郎さんならわかると思いますよ。
- A次郎さん
- 本当ですか?
2.予見可能性
- 中沢弁護士
- それでは検討していきましょう。まず、予見可能性の議論ですが、今回は、Xさんがナースコールを押すことなく、一人でトイレに行こうとして、転倒して怪我を負うことが予見できたのかという点が問題となります。
先ほど、私がお話した事実の中のどういった事情がキーとなりそうでしょうか。 - A次郎さん
- 先ほど中沢さんが一番のポイントと言っていた、直前(9月11日)の転倒のことでしょうか。
- 中沢弁護士
- さすがです。まさにその事実です。大前提として、Xさんはパーキンソン症候群などで転倒の危険性があったことは一つの要因といえます。ただ、それだけではなく、実際に、事故から僅か19日前に、転倒して怪我をしているというのは、非常に大きな事実であると言わざるを得ません。
- A次郎さん
- ナースコールを押さないで一人でトイレに行ってしまうという点についても予見可能であったといえるのでしょうか。
- 中沢弁護士
- どこがポイントとなりそうですか。
- A次郎さん
- 9月11日の転倒後は、何回かは、ナースコールを押していたんですよね。
- 中沢弁護士
- そうです。そうなると、施設側として、Xさんが、ナースコールを押さずに、一人でトイレに行くというのは予見できなかったと言えそうですかね。
- A次郎さん
- ただ、そのあとは、またボタンを押さなかったという事情があるのであれば、予見ができないとまではいえないでしょうね。
- 中沢弁護士
- 裁判所でもそのような判断がなされています。
では、Xさんが、ナースコールを押すように指導されていたのに、それに従わなかった点はどう評価されるでしょうか。 - A次郎さん
- 確かに、その点を考えると、施設が責任を負うと判断されるのは、不当だと思う気もします。
- 中沢弁護士
- この点は、過失相殺(損害の公平な分担)で考慮されることになります。ただ、Xさんが従ってくれなかったからといって、責任が全くないということにはなりません。
- A次郎さん
- この過失相殺も前回と同様ですね。
- 中沢弁護士
- 裁判所も今見てきたようなこのような要素を検討した上で、施設側は、Xさんが一人でナースコールを押さずに、トイレに行って転倒する危険性を具体的に予見できたと判断をしました。
3.①ポータブルトイレの設置義務
- 中沢弁護士
- 予見可能性があったと判断されると、結果回避義務違反があったかどうかが検討されます。
- A次郎さん
- 最初は、ポータブルトイレの使用についてですか。
- 中沢弁護士
- ここで重要となるのは、ポータブルトイレを設置したとしても、介助者がいなければ、転倒のリスクが生じることは変わらないという点です。
- A次郎さん
- それがどのように判断に影響するのですか。
- 中沢弁護士
- 施設側が結果を回避する義務を負担しているというのは、結果を回避するために有効だからこそ、その回避義務を負担することになるわけです。逆に言えば、その回避行動をとっても、結果を回避できないような義務を負うことはないんですね。
- A次郎さん
- ということは、施設側はポータブルトイレを設置する義務を負わないということですか。
- 中沢弁護士
- そうです。
4.②衝撃マットの設置義務
- 中沢弁護士
- 次は、衝撃吸収マットの設置についてです。
- A次郎さん
- これも、同じじゃないのですか。衝撃吸収マットを設置しても、床以外の部分に体をぶつける可能性は十分あり得ますし、マット自体に段差や隙間があったり、弾力性などがあったりするため、回避措置としては有効性が低いと思います。
- 中沢弁護士
- その通りです。裁判所も、衝撃吸収マットの設置義務はないと判断しました。
5.③離床センサーの設置義務
- 中沢弁護士
- 最後が離床センサーの設置についてです。
- A次郎さん
- 同じ視点で言うと、離床センサーが反応しても、居室内にトイレがあるため、担当者が駆け付ける前にトイレに到着してしまうので、有効な手段といえないのではないでしょうか。
- 中沢弁護士
- その点については、Xさん自身が歩行に支障があり俊敏にトイレまで移動するわけではないこと、本件転倒事故が起きたのが午前3時55分頃と職員が他の業務を行っているわけではないことから、離床センサーが設置されていれば、すぐに駆け付けることができたと判断されました。
- A次郎さん
- 離床センサーは、ナースコールの強制という意味で、いろいろと考えさせられる問題なんですよね。
- 中沢弁護士
- そうですよね。お気持ちはすごくよくわかります。
- A次郎さん
- 裁判所はこの点をどのように判断したのですか。
- 中沢弁護士
- 今回の件では、離床センサーの設置が回避義務として有効であり、かつ、設置すべき義務があったとしています。その理由として、使用していない離床センサーが施設内に存在しており、設置が容易だったことが大きな要因といえると思います。
- A次郎さん
- ナースコールの強制という点はどのように評価しているのですか。
- 中沢弁護士
- 正面からその点が争われたわけではないのですが、裁判では、施設側から、今回のケースで安全配慮義務違反が認められるなら、ナースコールを押そうとしない利用者の受け入れを拒否せざるを得ないという主張がなされており、この点が、関係しているように思えます。
- A次郎さん
- その点はどのように判断されたのですか。
- 中沢弁護士
- 裁判所も悩んだと思うのですが、僅か19日前に転倒で怪我をしている点が大きな要因となりました。直前に転倒事故を起こしているのだから、ナースコールを押さないXさんに対し、専門家の立場から意を尽くして説明をし、付添いを受けるように説得するなどすべきであったのに、施設側は、Xさんが、なぜナースコールを押さないのかも明確に把握していない有様でした。そのように適切な対応をしていない以上は、転倒防止のための措置として、離床センサーの設置を義務付けたとしてもやむをえないとの判断をしました。
- A次郎さん
- やっぱり専門的知見からの説得と利用者の状況の把握が、我々専門職として重要なことなんですね。
6.過失相殺
- 中沢弁護士
- ただ、今回も、Xさんが、ナースコールを押さなかったという落ち度がありますので、過失相殺の議論が出てきます。
- A次郎さん
- 大体何割くらい減額されるのですか。
- 中沢弁護士
- 介護状況、事故発生の経緯、本件事故の直前の事故、Xさんの身体の状況、施設側が介護サービスを業とする法人であることなどを総合的に判断し、Xさんに4割の過失があると認定をしました。
- A次郎さん
- 結局いくら支払うことになったのですか。
- 中沢弁護士
- 遺族に対し合計で825万円程度を支払うという結果になりました。
- A次郎さん
- やはり非常に高額になりますね。
7.まとめ
- A次郎さん
- 今回の判例からどういったことを学べばいいのでしょうか。
- 中沢弁護士
- 今回大事なのは、やはり専門家の立場から説得を繰り返すということと、利用者の意向やその理由をしっかり確認するということでしょう。それをやらないと、専門職としての義務を免れるのは難しいと思います。そして、第1回目の講義からの繰り返しになりますが、そのことをしっかりと記録に残すことですね。
- A次郎さん
- やはり、生命・身体の安全にかかわっている以上は、しっかりとした対応が求められるということですね。
- 中沢弁護士
- そうなると思います。次回は、少しマスコミなどでも話題となった問題を取り上げたいと考えています。
- A次郎さん
- わかりました。楽しみにしています。今日はありがとうございました。
中沢信介 弁護士
弁護士。1984年生まれ。2013年弁護士登録。
明治大学経営学部会計学科卒業後に弁護士になることを決意。明治大学法科大学院修了。法教育にも力を入れており年間十数件程度の小・中学校や高校を訪問している。
多数の医療関係の法人の顧問も務め、病院の第三者委員会の委員としての経験も有している。
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