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アラサー社会人が育児・家事を両立しながら言語聴覚士になった話

公開日:2021.10.12

アラサー社会人が育児・家事をこなしながら言語聴覚士になった話

文:竹内 あすか
(言語聴覚士/LSVT®LOUD認定療法士)

セラピストを目指す人たちの多くは、18歳から学校に入学するケースが多いと思います。また、一度就職したものの方向転換をしてセラピストを目指す人もいます。私もその1人ですが、ほかの方と大きく違っていたことがあります。それは、30歳目前のアラサーで言語聴覚士(ST)を目指そうと思い、なおかつ当時すでに子持ちだったことです。

アラサー女子が育児も家事も仕事もこなしながら、言語聴覚士を目指す──。そのバタバタ奮闘記を、皆様にお届けしてみたいと思います。

普通のOL&育児ママが言語聴覚士に

私は高校卒業後、某自動車会社に就職しました。総務で勤務し、電話対応や書類作成などをして、医療関係への興味もまったくありませんでした。その頃は自分が医療従事者になるなんて微塵も思っていませんでした。

高校を卒業すると、20歳代に結婚・出産を経験。子どもが3歳の頃にどもりが出現し、そこで初めて『吃音』という言葉を知り、吃音の治療方法を調べていくうちに言語聴覚士の存在を知りました。

言語聴覚士の職域は幅広く、小児~成人、聴覚、嚥下、失語、高次脳機能など多岐にわたり、最初は知らない言葉だらけでした。この頃、私はすでに29歳になっており、将来のためにと「育児中に何か資格を取得したいなぁ」と、言語聴覚士も視野に入れながら模索していました。

きっかけは看護師のママ友の「その仕事合ってるかも!」

その頃私は週3回事務のパートと家事・育児をしていました。何か資格を取得したいと思い、通信で取得できる資格や近所で通いやすい学校などを探していました。そのなかで歯科衛生士の専門学校が近所にあることを知り、ただそれだけの理由で歯科衛生士の学校を入学しようと考えていました。

数人のママ友にそのことを相談すると、「歯科衛生士=若者」のイメージがあるらしく、「今からじゃ遅くない?」などあまり好意的な返事が聞かれませんでした。そこで看護師のママ友になんとなく「言語聴覚士って知ってる? どんな感じ?」と聞くと、「あ! あすかちゃんにその仕事が合ってるかも!」と言われました。

彼女の持っている言語聴覚士のイメージが私の性格と合っていると言うのです。

子どもの吃音のこともあり、言語聴覚士について本気で探したところ、自宅から1時間圏内に専門学校を見つけました。さっそく学校説明会に行き、「言語聴覚士になろう!」とほぼ心を決めました。家族や両親に相談すると、「お金の援助はできないけど時間の援助はできる」と、ありがたいやら何なのか……つまり、「反対はしないよ」という返事をもらったわけです。

ひとまわり下の人たちとの交流も「年齢差自虐ネタ」で乗り切る

アラサー社会人が育児・家事をこなしながら言語聴覚士になった話
そして29歳にして専門学校に入学。これを機に週3回のパートは週末の1回に減らしました。でもこれは1年生のときだけで、その後の2年間は学業だけに励みました。専門学校の同級生の8割は高校卒の現役生、ほかは大学卒や社会人経験者ですが、ほぼ10~20代前半でした。

20代後半の“アダルトチーム”は私を含め5人。そのなかには私と同じように子持ちの人もいて、その存在はとても心強かったです。

最初は「うまくやっていけるだろうか」という不安もありましたが、入ってしまえば現役生だろうと社会人経験者であろうとスタートは皆同じで、目指すものも同じ。授業でわからないところも同じで、グループワークなどでもよく相談し合い、多く話すことで自然と年齢差を感じるものは解消していきました。

年齢差を武器に、年下の人たちにも自分から話しかけていく

年下の人に教えてもらうことに抵抗があったアダルトチームの人もいましたが、私はそれを恥ずかしいことではないと思っていたので、自分から年下の人たちによく話しかけていきました。明らかに年上なので「バカにされちゃいけない」というプライドもあったものの、2~3か月過ぎた頃にはくだらない談笑もできる仲になり、あえて年齢差を武器に自虐ネタで返すこともありました。

ひとまわり下の人たちもそれなりに気を遣ってくれていましたが、「年上だけど同級生」という認識でフランクに接してくれていました。でも時には社会人経験を振る舞う場面もあり、まとめ役を買って出たり、授業の準備の手伝いなども率先して行っていました。

そんな行動を目にしたひとまわりの人たちからは、「育児をしながらも頑張っていて尊敬します」なんて言われたりもしました。

黒板を見たのは10年以上前、それでも独自の勉強法で好成績に

現役の人たちと気持ちの年齢差は解消されても、頭はうまく回転しませんでした。まず手こずったのはノートの取り方。当時はプロジェクターを使用する先生と板書する先生が半々で、プロジェクターは先に大まかな内容が書かれているプリントが配られ、そこにメモをする程度でした。

困ったのが板書。その場で書き写さなければならなく、それに必死になっていると重要な説明やキーワードを聞き逃してメモが取れません。でも、当然ながら現役生はノートの取り方が上手でかつ見やすくきれいでした。

私にとって黒板を見ること自体実に10年以上ぶり。このブランクは本当に大変でした。試行錯誤の末、私は次のやり方でまとめるようにしたところうまくいきました。

①ただの白紙のコピー用紙を数十枚準備し、ひとまず自分が読める程度の乱雑な字で板書を書き写す。先生が「重要」と言ったキーワードや内容はペンを変えて、こちらも乱雑な字でメモをする。帰宅後、復習しながらきちんとしたノートに丁寧に書き映す。

この二度手間をほぼ毎日していました。この方法だと授業の聞き逃しもなく復習もできました。

②特定の先生にはボイスレコーダーの使用許可をもらって授業内容を録音し、それも参考にしながら復習する。

この2つの勉強法によって寝不足になりましたが、復習テストはほぼ満点で、クラスでNo.2になったこともありました。

家で勉強している姿を見て、子どもから「ママのかっこいいところは勉強しているところ」と言われたこともあり、この勉強方法はいろんな意味でよかったと思っています。

家事・育児との両立の秘訣は「いい意味の手抜き」

アラサー社会人が育児・家事をこなしながら言語聴覚士になった話
専門学校に入学した当時、息子は5歳でした。保育園に通っており、毎日の送迎は私がしていました。普段の授業のときに困ったことは特にありませんでしたが、困ったのは実習でした。

育児と実習の両立は友人とファミリーサポートで乗り切る

育児中であることを学校が考慮してくれ、自宅から通える実習先を選んでくれました。それでも朝早くて帰りが遅かったので、子どものお迎え時間に間に合わないことが続きました。

時間の援助はしてくれると言った家族でしたが、実際は難しく、私の場合は市区町村の育児サポートや友人にお願いせざるを得ませんでした。朝は友人にお願いし、お迎えはファミリーサポートに依頼することで乗り切りました。

子どもは最初、嫌がったり緊張したりしていましたが、徐々に慣れて、「今日はどこで(どこの家で)夜ご飯食べるの?」と楽しみにもなっている様子でした。

それでも週末にはいったん実習や勉強のことは忘れて、できるだけ子どもとの時間を大切に過ごしていました。せっかく「かっこいいママ」と言われたのに、子どもより学業を優先するのは間違っているとも思いましたし、私自身も気晴らしになっていました。

家事も育児も学業も、時間はできるだけ有効に使う意識を

学業と家事育児の両立をした3年間は本当に大変でした。でもそれなりに手を抜いて、頑張り過ぎない生活を心がけていました。どちらも完璧にこなそうとは思わず、「今日できなかったノートまとめは週末にやろう」「夕飯のメニューは一品減らしちゃおう」など、日々のストレスはため込まないようにしていました。

買い物は宅配を利用したり、時には学校の昼休みに夕食の買い出しのためにスーパーに行ったこともあり、家事・育児も学業も、時間はできるだけ有効に使うようにしていました。

合格発表で安堵「頑張ったね、ママ」

合格発表は子どもと一緒に会場まで見に行きました。自己採点でほぼ合格と思ってはいましたが、受験番号をこの目で確認したときには心底安堵しました。喜びよりも安堵感のほうが大きかったことを記憶しています。

小学生になっていた子どもは、すでにテストを受けることの大変さを知っていたので、「頑張ったね、ママ」とねぎらってくれました。

家族や友人に報告すると、自分のことのように喜んでくれました。特に家族はこの3年間、家事育児を手伝ってくれていたので、「やっと開放される」感のほうが大きかったようでした。

私は心のどこかで「浪人したらどうしよう」という不安と、「もう1年この生活が続くなんて考えられない」という精神状況だったので、ストレートに合格できて本当によかったと思いました。

会社員時代とまったく違った言語聴覚士の世界

言語聴覚士として働き出してから、医療・介護の世界は初めてのことだらけでした。自動車会社で経験した仕事のこなし方や私が心得ていた常識との差異もあり、戸惑いが多くありました。

たとえば、私が高卒の新入社員の頃は、上司から「業務は自分の目で見て盗め」「仕事は自分から探せ」と指導されました。そのため、先輩言語聴覚士やほかのセラピストのリハビリを見学し、技術の習得やわからないところはテキストを読み返し自己解決しながら勤務していました。

ところが、先輩言語聴覚士からこう言われるのです。

「わからないところは聞いて」「勤務中に空いた時間があれば教えて」

「聞いていいんだ」と安心したと同時に、どこまで聞いていいんだろうと自問自答していました。

これが20代の新卒なら1から聞けたかもしれません。でも私はすでに30代。その歳になって「それも聞く?」なんて思われないかと困惑したのです。しかし、社会人経験で培った「報連相(報告・連絡・相談)」を改めて思い出し、その都度、簡潔な内容で先輩言語聴覚士とコミュニケーションをとるようにしました。

先輩言語聴覚士も、私の何がわかないのか、どうしたいのか瞬時に理解してもらえ、時間の無駄もなくそれぞれが連携し合いながら、リハビリやほかの業務が行えるようになりました。

遠回りした経験が言語聴覚士の武器になる

言語聴覚士として最初に勤務した老人保健センターで3年間勤務し、その後訪問看護ステーションに転職しました。今も訪問言語聴覚士を続けていて、ここ数年は小児も担当するようになりました。

社会人経験や家事育児経験があるため、利用者様と何かしら共通点があることが多く、ラポート(親密な信頼関係)が形成しやすく、さらに、スムーズにコミュニケーションがとれるのが私の武器の1つになっています。

成人の方々に対しては、一般企業での苦労話やあるある話、小児は親御さんからの育児相談やご家族の愚痴までいろいろな話題でコミュニケーションがとれます。昔の自分を思い出しながら、本当に勉強になり楽しい毎日を送らせていただいています。

私のように言語聴覚士になるまでに遠回りした人は、それなりにさまざまな経験をしてきたと思います。その経験は、現役で言語聴覚士になった人たちはなかなか持っていないものでもあり、それが大きな武器になっていると思います。

言語聴覚士として経験を積めば積むほど、武器はさらに増えて強くなるはずです。私もまだまだですが、今後もさまざまな経験を積んで、言語聴覚士として生涯を全うしていきたいと思っています。

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竹内あすか

竹内 あすか

言語聴覚士/LSVT®LOUD認定療法士
得意分野は言語機能障害、高次脳機能障害、嚥下機能障害。
結婚・出産を機にSTになった遅咲きST。老健や訪問看護ステーションなどで働き、数年前までは成人専門だったが、最近は小児も対応している。現在は訪問看護ステーションに勤務。

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