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スタンフォード式「最高の睡眠」の西野精治教授に聞く(1)睡眠障害を避ける眠りの研究結果

公開日:2019.09.30 更新日:2023.03.14

文:中澤仁美 写真:和知明

多忙な毎日を過ごすセラピストの中には、睡眠に関する悩みを抱えている人も少なくないでしょう。睡眠の課題に向き合い、質・量ともに少しずつでも改善するにはどうしたらよいでしょうか。世界最高峰の睡眠研究機関と呼ばれるスタンフォード大学睡眠研究所で長年研究を続けてきた西野精治さん(スタンフォード大学医学部精神科教授)に睡眠改善のためのヒントを伺いました。

睡眠不足は医療事故の元。「睡眠負債」の恐怖

皆さんは、「睡眠負債」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか? これは、慢性の睡眠不足による影響が心身へ蓄積されていくことを意味しています。

「正式な医学用語ではありませんが、『マイナスの要因が積み重なっていき、いつか深刻な事態を引き起こす』というニュアンスを含んだ、おもしろい表現ですよね。残念ながら、私たち日本人の睡眠時間は年々短くなっており、睡眠負債を抱えている人は極めて多いと考えられています」(西野先生:以下、カッコ内の発言も同様)

毎日忙しいのだから多少の睡眠不足は仕方がない――。そう思っている人も多いでしょうが、睡眠負債を甘く見てはなりません。

「アメリカの学会誌『Sleep』で発表された研究では、タブレットに画像が現れたらボタンを押すという単純作業に20人の医師が取り組んだところ、夜勤明けの医師は明らかに反応が低下したと報告されています。画像が90回出現したうち、数秒間反応できなかったことが3~4回あったということです。つまり、このときは無意識のうちに脳が眠っていたわけですね」

睡眠負債を抱えている人は、本人も気づかないうちに、業務時間中でも瞬間的な眠りに陥ってしまいかねません。リハビリテーション中に意識が遠のくようなことがあれば、思わぬ事故につながるかもしれないのです。

「睡眠不足による心身へのダメージは思った以上に大きいです。例えば、睡眠の働きの一つに、脳の老廃物を脳脊髄液を介して排出する『グリンパティック・システム』があります。アミロイドβなどの老廃物が処理しきれずに蓄積していくことで、アルツハイマー型認知症などのリスクが高まると考えられています」

また、眠っている間にはホルモンバランスの調整も行われています。そのため、睡眠時間が短くなればホルモンバランスが崩れやすくなり、食欲を抑えることが難しくなるなどの影響が出てきます。西野先生によれば、特に女性は影響を受けやすく、睡眠時間が短い人ほど太りやすい傾向にあるそうです。

あなたは睡眠が足りている? 週末2時間以上の「寝だめ」は危険信号

1953年にレム睡眠が発見されて以来、ようやく研究が本格化した新しい分野であることからも、睡眠はまだまだ謎の多い領域です。適正な睡眠時間や睡眠不足の程度についても正確な測定は難しいのが現状ですが、自身の心身に睡眠負債がたまっているかどうか、大まかに判断する目安はあるそうです。

「仕事がない日などに、自然に目覚めるまでどのくらいの時間寝ているのか確認してみてください。普段より1日当たり2時間以上長く寝ているようであれば、すでに危険信号が点灯しています。日ごろの睡眠時間がまったく足りていない状態で、かなりの睡眠負債がたまっていると考えられるからです」

加えて、目覚めの良さも重要だといいます。

「深い眠りであるノンレム睡眠(脳も身体も眠っている)と、浅い眠りであるレム睡眠(脳は起きているが身体は眠っている)が、交互に繰り返されることは知っていますね。健康な状態であれば、明け方になるにつれてレム睡眠が長くなってきて、自然と目覚められるはずなのです。ところが、睡眠のパターンが崩れているとノンレム睡眠の状態から無理に起きなければならず、とても不快な目覚めになります」

週末に寝だめをする。まだ眠い状態なのに無理やり起きなければならない……。どちらも多くの人にとって身に覚えがあることでしょう。しかし、寝だめをしたところで、たまってしまった睡眠負債は“返済”できていないかもしれません。

「1日当たり40分の睡眠負債を抱えていた人に、寝たいだけ寝てもらったという実験があるのですが、睡眠不足が完全に解消するまでに3週間もかかったそうです。1~2日程度の休日に少しくらい多く寝たからといって、睡眠負債を“完済”するのは不可能だといえるでしょう」

中には極端に睡眠時間が短くても元気なショートスリーパーも存在しますが、普通の人がそれをめざそうとするのは危険だと西野先生は指摘します。

「ショートスリーパーは、短眠の遺伝子を持ったむしろ例外的な存在であり、トレーニングで睡眠時間を短くすることはできません。ショートスリーパーを自認していても、実は無理をしているだけというケースもあるため注意が必要です」

睡眠時間を増やせないなら、睡眠の質を上げることに目を向けよう

それでは、睡眠負債を“返済”するためには、何から始めたらよいのでしょうか。

「とにかく眠るしかありません。十分な睡眠時間は人それぞれ違いますが、基本的には最低でも1日6時間以上、できれば7時間程度は欲しいところです。それに満たない人は、30分でも長く眠るようにしてみてください。しばらくその生活を続け、どれほど体調が良くなるか身をもって知ってほしいですね」

睡眠には、慣れもあり、質が悪化していくときには自覚できる症状が出にくいものの、質が改善すると良い影響を自覚しやすいという特徴があるそうです。そのため、少し長めに寝るだけでも、日中のパフォーマンス向上が実感できるはずです。しかし、多忙な毎日を送るセラピストにとって、睡眠時間を延ばすのは簡単なことではありません。

「時間が限られているのであれば、睡眠の質を向上させるしかありません。そのためには、『眠りのゴールデンタイム』といわれる寝始めの90分間を大切にしてください」

人が眠りに入ると、まずはノンレム睡眠が訪れます。眠りの質を決定付けるカギとなるのが、この最初のノンレム睡眠です。

「ここで得られる眠りは、一晩のうちで最も深いもの。このときに睡眠圧(眠りたいという欲求)を放出し、安全安楽な環境に身を置くことで、理想的な睡眠パターンを実現することができます」

一晩のうちにノンレム睡眠とレム睡眠のサイクルを4回ほど繰り返すことが一般的ですが、2回目以降のノンレム睡眠が1回目よりも深くなることはありません。つまり、最初の90分間が崩れてしまえば、その後の睡眠にも悪影響を及ぼし続けるということです。そうなれば、どれだけ長く寝たとしても眠りの質は良くなりません。

大事なのはノンレム睡眠。「寝始めの90分間」には黄金の価値あり!

「眠りのゴールデンタイム」を大切にすることには、単にぐっすり眠れるという以上のメリットがあります。

「人間の成長に大きく関わるグロースホルモンは、ノンレム睡眠の質に応じて分泌量が増減する特殊なタイプのホルモンです。中でも最初のノンレム睡眠時には、全体量の70~80%が分泌されることが知られています」

グロース(成長)という言葉から子どもに必要なホルモンと思われがちですが、細胞の成長や新陳代謝に関わることから成人にとっても重要です。「寝始めの90分間」で深いノンレム睡眠ができれば、全体の睡眠時間が短かったとしても、全体量の80%近いグロースホルモンを確保することができます。

「自律神経を整えるためにも、ゴールデンタイムの90分間はとても重要です。本来であれば、毎日同じ時刻に寝起きすること、特に就寝時刻を決めることで、ゴールデンタイムを確保するのが理想です。まとまった睡眠時間が得られず、やむなく細切れ睡眠をする場合でも、最初に深い眠りが訪れることを意識してください」

西野先生によれば、寝始めの90分の間、その人を起こそうとするならかなりの刺激が必要になるそうです。逆に言えば、それだけ深い眠りに就いている人を強引に目覚めさせたり、大きな刺激(寝ている人がいる部屋のドアを強く開け閉めするなど)で眠りを邪魔したりするのは避けなければなりません。自身の睡眠を大切にすることはもちろん、他者の睡眠に対しても配慮が必要なのです。

後編では、セラピストの皆さんに実践してほしい、具体的な睡眠改善法について伺います。

>>スタンフォード式「最高の睡眠」の西野精治教授に聞く(2)セラピストができるエビデンスに基づいた睡眠改善法

西野精治(にしの・せいじ)

西野精治(にしの・せいじ)

スタンフォード大学医学部精神科教授、同大学睡眠生体リズム研究所(SCN ラボ)所長。医学博士。精神保健指定医。日本睡眠学会専門医。
1955 年大阪府出身。1987 年、当時在籍していた大阪医科大学大学院からスタンフォード大学医学部精神科睡眠研究所へ留学。突然眠りに落ちてしまう過眠症「ナルコレプシー」の原因究明に全力を注ぐ。2005 年、SCN ラボの所長に就任。30年以上にわたり、睡眠・覚醒のメカニズムについて、分子・遺伝子レベルから個体レベルまでの幅広い視野で追究している。令和元年5月に睡眠に特化したサービスを行うブレインスリープ社を設立し、代表取締役に就任。著書に『スタンフォード式 最高の睡眠』(サンマーク出版、2017年)がある。 ※2019年9月現在

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