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一般社団法人喜多医師会

本社:愛媛県大洲市東大洲1563番地1

法人概要 地理 喜多医師会病院は大洲市徳森小鳥越に所在し、愛媛県中予地区の西部、大洲市及び喜多郡のほぼ中心部に位 置します。 医療地域~すぐれた地域医療をめざして~ 設立当初、旧大洲六万石の藩領をその医療圏と目標といたしました。 旧大洲藩の藩領は飛び地を含め、伊予市砥部町、久万高原町へと広域に渡り、地理的関係から松山医療圏を指向する傾向にあります。 そこで、医師会病院では、八幡浜・西予市を含めた医療圏の高度先進医療機関を目指しております。 地域の医療史~先進的な医療関係者の輩出~ 大洲地方には古代巨石文化の遺跡が多数散在し、大洲盆地の東に聳える神南(神奈備)山の麓には神話時代の医薬の神様・少名彦命にまつわる伝承が多く残され、記紀の語る神話以降の大国主、少彦名二神の足跡を辿ることが出来ます。 菅田大竹の地は少彦名命終焉の地として藩政時代より尊崇を集めています。 また、大洲に生を受けたものは近江聖人中江藤樹を忘れることはできません。藤樹は優れた陽明学者であると共に類希な医学教育者した。彼の元に入門した医学徒の為に自ら中国や日本の万巻の医書を読み、弟子一人ひとりに適した医学書を著して与えました。 大洲藩は、四国に於て最初にオランダ医学をとり入れた藩でした。徳川家光の時代にオランダ商館付医官として来日したカスパル・スハムブルヘルの門人河口良庵、及びその弟子鎌田良球の二人のオランダ外科医を擁しました。又、杉田玄白の弟子鎌田玄台明澄や華岡青洲の高弟鎌田桂洲正澄らを輩出し、度々、人体解剖が行われる等、大洲は西日本におけるオランダ医学の中心地として輝かしい時期がありました。幕末に於ては、シーボルトの最後の弟子三瀬諸淵や、ドイツの名医フーフェランドの診断学を翻訳し「扶氏診断」として出版した山本致美等多くの医学者を出しました。 喜多医師会病院の設立 かかる医学的背景をふまえて、1983年、当時の日本医師会長武見太郎博士の指導を受けて喜多医師会病院が設立され、次いで1989年、内山病院の開設によって1医師会立2医師会病院という全国的にも特異な医師会病院となりました。
病院情報補足 電子カルテ導入済み、オーダリングシステム導入済み
特色 喜多医師会は明治40年に発足し、100年を超える歴史があります。 昭和58年6月、会員と連携して医療を行う開放型共同利用施設として喜多医師会病院を建設し、平成11年8月には愛媛県知事より四国で第1番目の地域医療支援病院として承認されました。 平成30年7月からは大洲インター出入口のすぐ近くに新生喜多医師会病院を新築移転し診療に当たっていらっしゃいます。 新病院はこの高齢化社会と、それを支えるすべての世代の皆さんが利用しやすい病院作りをコンセプトに、延床面積を旧病院の1.4倍の広さとし、患者さんの療養環境を初めとするアメニティーを飛躍的に改善いたしました。

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