「栞」のように、理学療法士の道標となる作品が撮りたい
公開日:2018.10.15 更新日:2018.12.14
理学療法士として大学病院に勤務した経歴を持つ異色の映画監督・榊原有佑さんは、病院理学療法士が主役の映画「栞」を10月26日から公開。国家資格を持った本物のPTだからこそ描けるリアリティーと、病院での実話がベースならではの「正解のないストーリー」。そして、本作に隠された全国の理学療法士たちへのメッセージとは? ご本人に語っていただきました。
病院の内と外の世界をつなげる方法を模索していた
――理学療法士から映画監督への転身というのは珍しいと思いますが、どのような経緯があったのでしょうか。
高校生だった頃の僕はいわゆるサッカー少年でして、ほとんど全精力を部活動に傾けていました。あるとき、結構なケガをして理学療法士(PT)のお世話になったことが、その後の進路に大きく影響したと思います。当初の方向性としてはスポーツトレーナーになることが頭にあったわけですが、勉強するうちに脳機能に関する興味が強くなり、三重大学医学部附属病院へ入職することになりました。
大学病院ですから、いわゆる難病を抱えている患者さんと関わることが多くなります。病気がどんどん進行していく。しかし、それを食い止める医学的手段が見つからない。PTにできることは限られています。もちろん、できることは精いっぱいやったつもりですが、「プラスして何かできることはないか」「病院という垣根を飛び越えて、全国の志ある人たちと連携できないか」という思いに衝き動かされるようになりました。
また、患者さんは難しい病気を抱えていてもリハビリテーション室へ来ることを楽しみにして、希望を持って頑張っている。そうした一人ひとりの姿にフォーカスして、皆さんにしっかり見てほしいという思いもありました。そうしたことから病院を退職し、映像表現の道へ進むことを考えたわけです。
――映像という表現を選ばれたのはなぜでしょうか。
実は、当初は映像表現というよりは、ジャーナリストのような方向性を考えていました。ブログに文章を綴るのでもいいし、ライターとして問題提起をするのでもいいし、とにかく病院の内と外の世界をつなげたいという思いがあったのです。
ところが、当時はYouTubeが流行り出し、誰でも映像を作って公開できるようになりはじめたところでした。タイミングに恵まれた面もありますね。もともと僕は映画が趣味で、高校生時代は理学療法士を目指すか映画監督を目指すか迷っていたくらいでしたから、東京の映像学校で勉強してみようということで、この世界に飛び込んだわけです。
休床中の病室の1フロアを借りてリアリティーある撮影ができた
元ラグビー日本代表選手の藤村孝志は、試合中に頸髄損傷を負い、二度と自分の足で歩けないと悟りながらも、主人公の高野雅哉と共に懸命にリハビリに取り組む。
――本作に関する制作や撮影上の裏話、特に苦労した点などを教えていただけますか。
苦労は……たくさんしましたね。例えば、今回の脚本上は当然ながら病院でロケをやらなければなりませんが、実際に稼働している病院を使うことはできない。適当な場所を見つけられないまま、クランクインが迫ってくる。どうしようと困っていたとき、九州大学病院別府病院の1フロアだけが休床していて、そこを使わせていただけるという話が舞い込みました。これなら患者さんの邪魔にならず、美術(撮影する医療機器やベッドなど)もお借りしながら撮影できるということで、本当にぎりぎりのところで救っていただいたと感謝しています。作品の中で出てくる院内のシーンは実は1フロアのみを使い、美術を入れ替えながら撮影しているというのが裏話になるでしょうか。
「病院屋上の金網越しに青い空と海が広がっている」という、本作の力を込めたシーンの一つがありまして、付き添いの看護師の目には海が見えるけれど、車椅子から立ち上がることができない患者さんはコンクリートの壁に阻まれ、海を目にすることができません。そういう患者さんの境遇をわかってほしいと同時に、金網に囲まれて外界と遮断された病院という存在を象徴してもいるのですが、このシーンも九州大学病院別府病院のロケーションをそのまま生かしています。当初は院内のシーンと屋上のシーンは別々に撮らなければならないだろうと考えていたのですが、ここでも幸運に助けられた感じです。
もう一つは、演者さんが芝居を通して生み出すリアリティーを重視して撮ろうと考えていたので、事前に人物の細かい動きまでかっちりと決めることはせず、その瞬間瞬間にふっと生まれたものを逃さずにつかまえたこと。このことに全編を通して集中していたと思います。事前に人物の動きをかっちり決めないということは、カメラを固定せず手持ちで撮影しなければならないことを意味します。本作のシーンの99%は手持ちカメラでの撮影です。こうしたところにも注目していただけると面白いかもしれません。
もやもや感を抱えながら成長していく主人公「雅哉(三浦貴大)」
――医療をテーマにした作品を撮られたのは本作が初になるでしょうか。
長編映画としては初めてになります。短編映画としては、骨肉腫を抱えた若い女性患者さんを主人公に据えて、自分のPTとしての実体験をもとに作ったことがあります。今作の「栞」には自身の体験だけでなく他の医療従事者に取材したエピソードも盛り込んでいますが、主人公の高野雅哉(三浦貴大)には大いに自分の実際の経験を反映しており、その意味で自伝的作品といえるのかなと思っています。
――本作には主に3人の患者さんが登場し、主人公はそれぞれに対して関わり方を模索しているように思います。主人公とは違ったスタンスの関わり方をする同僚PTの存在もあります。理学療法士として、どういう距離感で対象と関わればいいのか、その部分の難しさがあると感じました。
一人ひとり違った人間対人間の距離感ですから、結局は正解なんてないのだと思います。だからこそ雅哉に限らずすべての医療従事者が悩み、模索しなければならないのでしょう。
雅哉の父である高野稔は、脳腫瘍により余命半年と宣告されている。延命治療を希望するかどうか、息子と娘のことを思いながら揺れている。
僕の経験から言うと、もう病院を辞めて東京に出ようと思いながら仕事をしていたとき、85歳の患者さんから言っていただいた言葉が忘れられません。「私は病気にならなかったとしても、残された人生の時間は多くないからね。でも、病気になってリハビリをするようになり、あなたといろいろなお話ができてよかったわ。そう考えると、病気になったことも悪くはないわね」。こういう言葉を頂けることが一つのゴールだとすると、そこへ向かうまでの方法や手段はいろいろあっていいということではないでしょうか。
映画で成長物語を描く場合、主人公自身に何らかの問題が降りかかり、それを葛藤や試行錯誤をしながら乗り越えていくというストーリーにするのが一般的というか、わかりやすいものでしょう。でも、本作の場合、問題の多くは主人公の周辺で起こっていて、主人公はPTとして患者さんに出会い、関わることを通して成長していきます。この構造は医療現場そのものなんですね。
本作のストーリーにおいて、雅哉は困難にぶつかることになりますが、直面していた問題が魔法のように全て解決して、晴れやかな笑顔と拍手で終わるわけではありません。むしろ、納得できないもやもや感を抱えながら、「それでもここで止まってはいけない、自分にできることが何かあるんじゃないか」と気持ちを奮い立たせて歩んでいく。そして、ラストシーンの行動として一つの結実を見ます。これは僕自身が経験したことであり、本作を通して皆さんに観ていただきたい部分でもあります。
難病を患う山本海音は、医師の許可がない限り、自分の病室から自由に出ることもかなわない。
ラストシーンで感じた「何か」を大切にしてほしい
――作品タイトルの「栞」という言葉に込めた意味や思いはどのようなものなのでしょうか。
一つには、本作の登場人物たちの生き方、あるいは人生の終え方を、本に挟む栞のイメージに重ねてみたということがあります。ある人は、まだ続きのページがあるのに栞を挟んで本を閉じてしまう。ある人は、いったん閉じた本を栞のところから開き、再びページを読み始める。そうしたイメージを込めています。
それから、「栞」という漢字は、山や森の中を歩く人が迷わないように道端の木の枝を折って目印にした様子を表しているそうです。それを知って、この「栞」という作品が誰かにとっての道標になったらいいなという思いも乗せています。
――最後に、本作を観る方、特にセラピストに対するメッセージを頂けますか。
本作はフィクションではあるのですが、ご覧いただいた方には、おそらく今この瞬間にも、日本のどこかの病院で同じようなことが実際に起こっているはずだということを頭の片隅にでも置いてほしいと願っています。つまり、高野雅哉のように思い悩むセラピストがいて、藤村孝志や山本海音や高野稔のような患者さんがいるということです。このことについては、臨床の医療従事者にもリアリティーを伴って伝わるように描いたつもりです。
ラストシーンを観ていただいて感じた「何か」――人によって様々だと思うのですが、それを大切に持って帰っていただきたいです。また、セラピストの皆さんには特に伝えたいことがあります。
自分が関わって患者さんの状態を向上できなかったとしても、起きた成功と失敗を医療者が広く共有していけば、いつか助けられる人やチームが出てくるかもしれない。
もし、PT時代の僕のように「自分にも何かできるんじゃないか」という思いに衝き動かされたなら、どうか一歩を踏み出してみませんか。
【映画「栞」】
10月26日(金)より新宿バルト9ほか全国順次公開
配給:NexTone 配給協力:ティ・ジョイ
Ⓒ映画「栞」製作委員会
出演:三浦貴大
阿部進之介、白石聖、池端レイナ/福本清三/鶴見辰吾
監督:榊原有佑
脚本:眞武泰徳 共同脚本:岡本丈嗣 音楽:魚返明未
主題歌:「Winter」作曲:Liam Picker/西川悟平
上映時間:118分/公式サイト:shiori-movie.com
榊原有佑(さかきばら・ゆうすけ)
1986年生まれ、愛知県出身。株式会社and pictures 所属。
理学療法士の国家資格を取得後、三重大学医学部附属病院に入職。
映像分野への転身を志して退職後、東京の映像学校へ入学。卒業後はCM、MusicVideo、TV、企業VP などジャンルを問わず、様々な映像分野で幅広く活動する。
2013年に初監督を務めた短編映画「平穏な日々、奇蹟の陽」は「ShortShortFilmFestival2014&Asia」JAPAN 部門ノミネート。
長編映画「栞」が2018年10月26日より全国公開。