作業療法士のやりがいとは?仕事の魅力とこれから求められるもの
公開日:2017.12.25 更新日:2021.02.09
中村春基会長は作業療法士として入職後、8年目には教員として作業療法士養成校に就職します。そしてその10年後、再び臨床現場へ――――教員としての経験は、その後の中村会長の作業療法をどう変えたのでしょうか。
臨床現場から教員への転身、そして再び臨床へ
養成校卒業後、病院の作業療法士として働いて8年目に、転職。その転職先は臨床施設ではなく、作業療法士養成校でした。作業療法士としての仕事に自信がつくころに、中村会長はなぜ現場を離れるという決断をしたのでしょうか。
「私は入職3年目ごろから毎年、学会で2~3題ずつ発表していました。学会のためのデータをとるのですが、同じ人に同じように作業療法のアプローチをしても、同じ結果が出ないこともあります。『どういうことだろう』という自分の疑問点がいろいろ出てくる。もちろん、いろいろ調べるんですけど、それでもわからない。これは一から勉強しなければいけない、と思い始めていたのです。そうしているうちに卒業した学校から教官にならないかという話があって。2年間断り続けたものの、学校なら教員として教えるかたわら、自分の不足しているところをもう少し勉強できるのではないかと思ったのです」
教員として赴いた出身校でのさまざまな講師との出会いも、中村会長の視野を広げる機会になりました。
「当時の国立療養所近畿中央病院附属リハビリテーション学院には、東京大学をはじめさまざまな大学から著名な先生方が外来講師としていらしていました。その先生方と講義のあと飲みに行ってはいろんな話をうかがいました。たとえば、生理学のある事象について、『これが証明されるのに100年かかった』と。生理学は地道な実験の積み重ねですから、100年かかったということはどれだけ多くの人の手を経ているかわからない。私たち教師はその事象だけを教え、学生はそれを暗記して答案に書くだけですが、その前提として実は100年の歴史がある。それまではそんなものの見方をしたことがなかったので、とても面白く、学問とは何かを教えていただいたと思っています。それ以来、自分がわからないことは、なぜわからないのか、ロジックを考えるようになりました」
豊かな気づきを与えてくれた教員時代でしたが、中村会長は自ら10年間でピリオドを打ちます。
「5年ほど教壇に立っているうちに現場の技術感覚がどんどん薄れていくという実感を覚えたのです。学生の臨床実習の発表を聞いていても、自分の持っていた現場感覚とちょっとずれてきた。基本的に養成校は学問ではなく技術を教える学校ですから、自分がここに長くいればいるほど、学生にとってはマイナスになると思い始めて…。次は大学に行くとか、いろいろな道がありましたが、別に勉強自体が好きなわけでもなかった。私の勉強は、あくまで目の前の患者さんのためであって、患者さんが目的なのです」
後任者にあとを託し、10年ぶりに戻った臨床現場。自分の力が格段に高まっているのを感じたそうです。
「もうまったく違いました。何より見え方が違う。例えば関節が動かないという場合に考えられる理由が、以前は3つぐらいしか思い付かなかったのが、10個ぐらいに増えている。それはやはり知識の差だと思います。知識があれば、見えなかったものが違う角度から見えるようになるのです」
頸髄損傷でも一人で生活できる
元患者の島本さんとは20年のつきあい
多くの患者さんとの出会いがあった中で、ひときわ中村会長の心に残っている患者さんは?
「たくさんいますよ。作業療法士になって1例目に担当したリウマチの患者さんとはもう42年のおつきあいになりますし、20年以上のつきあいになる頸髄損傷の島本卓君とは一昨日も会いました。島本君は実家にご両親といっしょに住んでいたのですが、独立して一人で生活すると言い出して引っ越してしまった。どうするのだろうと思って見に行ったら、立派にやっていました」
島本さんが独立を志すきっかけとなったのは、同じ頸髄損傷患者の大先輩で、NPO頸髄損傷友の会を設立した田村辰男さんの存在でした。田村さんは高校生の時のスポーツ事故により頸髄に損傷を負い、10年に及ぶ施設暮らしをしましたが、より自分らしい生活を求めて姫路市内で単身生活を開始。その経験から障がい者の自立を支援しています。実は、島本君に田村さんと出会うきっかけをつくったのも、中村会長でした。
頸髄損傷友の会の田村さんと
「田村さんは60代ですが、普通に東京に出てこられますし、ボランティアを集めて海外旅行もする。兵庫県にはそういう人がいるので、自分の担当する頸損患者さんには紹介して会うことを勧めていました。会いに行けば目からうろこですよ。『どうしよう、私は何もできない、あれができない、これができない』と言っていた人が、『何をしようかな、これをしようかな』に変わるんですから」
島本さんはいつの間にか、同じ頸損患者を励ます側になり、「頸損の人がいたら会わせてほしい」と話しているそうです。こういう出会いをつくるのも、地域包括ケアシステムの概念の中では作業療法士の大切な役割だ、と中村会長は考えています。
「地域の中にどういう人的資源があるか、本人の身の回りに活用できる資源があるかを知っておく。作業療法士として経験を積むとはそういうことです」
「苦労した経験もプラスになる」
最後に、これからの作業療法士に求められるものは何か、うかがいました。
「作業療法士という職種は利用者のためにあるので、やはりまず利用者の方の心情を基本的に理解しようと努めることが大事。利用者の皆さんは障がいとつきあいながら、どう生きていこうかと暗中模索で、わらをもつかみたいような状況です。それをしっかり支えるためには、人に優しくなければ」
では、どうすれば、「人に優しい」人間になれるのでしょうか。
「若い時からいろいろな苦労を経験することが大事だと思います。障がいをもつということは、それは大変なことです。作業療法士自身が失敗や成功または病気・けがなど、さまざまな経験を積み重ねることで、生活のしづらさを抱える障がいのある人の気持ちに少しずつ近づけるのではないでしょうか。実体験が多いほど、似た状況の人の気持ちを理解しやすくなるのではないかと思います。だからもし今、たとえ人に言いたくないほどのつらい体験をした人がいたとしても、それは作業療法士として、他の人には無い大きな糧になるはずです。
障がいでも高齢でも認知症でも、どんな人でも“やりたいこと”を実現できるように作業療法士が支援していく、それを通して誰もが暮らしやすい社会を作っていくことに貢献できたらと思っています」
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中村 春基(なかむら はるき)会長
- 1977年
- 国立療養所近畿中央病院附属リハビリテーション学院 卒業
- 1977年
- 兵庫県社会福祉事業団玉津福祉センター附属中央病院 入職
- 1984年
- 国立療養所近畿中央病院附属リハビリテーション学院 入職
- 1985年
- 一般社団法人日本作業療法士協会 理事
- 1994年
- 兵庫県立総合リハビリテーションセンター中央病院 入職
- 2006年
- 兵庫県立西播磨総合リハビリテーションセンター
リハビリテーション西播磨病院 リハビリ療法部部長 - 2009年
- 一般社団法人日本作業療法士協会 会長
- 2010年
- 兵庫県立総合リハビリテーションセンター中央病院リハビリ療法部部長
- 2015年
- 一般社団法人日本作業療法士協会 会長(常勤役員)
- 2017年
- リハビリテーション専門職団体協議会 代表
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