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プロレスラー×理学療法士TSUBASAの選択

公開日:2015.04.13 更新日:2015.04.22

好きなことを仕事にしている人はそう多くありませんが、なかには2つの道を極めて活躍する人もいます。今回ご紹介するTSUBASAもそのひとり。現役プロレスラーでありながら理学療法士としても働くTSUBASAの軌跡をたどり、彼が理学療法士の道を選んだ理由を探ります。

ルチャ・リブレの偉大な神父レスラーに弟子入り

TSUBASAの異色の道のりは、ワールドワイドに活躍するプロレスラー、ウルティモ・ドラゴンに魅せられたことがきっかけでした。ウルティモ・ドラゴンは、新日本プロレスの入団テストで体格を理由に不合格となりながらも、自らの夢をメキシコに馳せ、数々のタイトルを獲得したスーパースターです。
小さな身体で数々の技を繰り広げるドラゴンの姿に惚れ込んだTSUBASA は、当時、就職が決まっていたにもかかわらず、プロレスの道を目指すことを決めました。しかし、身ひとつで上京した彼には、何のつてもありません。彼がもっていたものは、「メキシコに行く」という野心ただひとつでした。
上京先で、生活のために新聞配達をしながらジムに通う日々を繰り返していたところ、職場の所長がメキシコ大使館の通訳と知り合いであったことが判明。そのつながりからメキシコへ渡り、孤児院を経営する神父レスラー、フライ・トルメンタへの弟子入りを果たします。
彼は、孤児院でトレーニングを重ねました。そして、「自由への戦い」という意味をもつ「ルチャ・リブレ」、つまりメキシカンプロレスの技術を磨き、見事「TSUBASA」としてデビューを遂げたのです。

右ひざの前十字じん帯断裂で選手生命の危機

TSUBASAはメキシコでの5年間の活動を経て、日本への逆上陸を決意。そして、大阪プロレスへの参戦が決まりました。ルチャ・リブレを習得したTSUBASA は、小柄な体格を活かしたスピーディーな戦術を得意とし、次々と華麗な技を繰り広げました。特に、彼のキレのある空中殺法は多くのファンを魅了し、その活躍から彼の人気はどんどん高まっていきました。
しかし、華やかな活躍の裏側で、彼は怪我や故障が続き、右ひざの前十字じん帯を断裂してしまいます。手術の甲斐あって復活を果たしたものの、復活戦で再びじん帯を断裂してしまい、彼は長期欠場を強いられます。「もう後はない……」、無理ができない身体を前に、彼は選手生命の危機を痛感しました。

身近に接した理学療法士に憧れる

治療に専念するためにクリニックへ通っていたころ、TSUBASA は理学療法に出会いました。アスリートとして活動を続けるにあたり、身体との付き合い方について考えさせられた彼は、理学療法の魅力に心を奪われました。プロレスラーとしての先行きに不安を感じたことで、新たな挑戦への意欲が湧きあがったのです。
そこからの彼は、人が変わったように勉強に集中しました。努力が実って専門学校へ合格。4年間の学生生活では、平日は学生、日曜日はプロレスラーとしてハードな日常をこなしました。その成果もあって、国家試験も見事合格。ついに、念願の理学療法士としての道が切り開かれたのです。

プロレスと理学療法士の二重生活

いよいよ始まった二重生活。異色の理学療法士は、両分野に広くその存在を知らしめました。怪我によって身体と将来について強い不安を感じた経験は、今では彼の最大の強みとなっているとのこと。
現在では、患者さんの気持ちや痛みがわかる理学療法士として、アスリートやスポーツに励む若者たちに、効果的なリハビリテーションやトレーニング方法を提案しているのだとか。「今はまだ勉強中」と、多くの悩める人の助けとなるべく、さらなるスキルアップに励んでいるそうです。

一生懸命やれば、必ず道は開く

いくら好きなことであっても、どの道にもつらいことはあるもの。しかし、TSUBASA はこう語ります。「つらいと思ったことは一度もない。好きなことを真剣にやっていれば、自然と道が開ける」と。身をもってその言葉を表現し続けたTSUBASAには、今後もプロレスラーとして、そして理学療法士として、さらなる活躍をみせてほしいものです。

 

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