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公益社団法人日本理学療法士協会 半田 一登会長 セラピストプラススペシャル 公益社団法人日本理学療法士協会 半田 一登会長

vol.2

理学療法士という仕事の魅力公益社団法人日本理学療法士協会 半田 一登会長

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前回は、現在の理学療法士の情報と課題について日本理学療法士協会半田会長にうかがいました。後編は38年間の臨床経験を通じて感じた理学療法という仕事の魅力や、今も心に残る患者さんとのエピソードをお話しいただきます。

半田 一登会長

本気で仕事に取り組み、チャレンジしていかないと、
患者さんは素通りしていく

昭和46年に専門学校を卒業した半田会長。日本のリハビリテーションはまだ黎明期。理学療法士国家試験の合格率はなんと、たった9.8%。今では考えられないほど狭き門でした。

「当時は、国がリハビリテーションの指導者層を育てるという考え方でした。一人当たり3年間で300万の予算を付けて指導者を育て、彼らが大量に理学療法士を育てるという計画です。ですから学校は全て国費が投入されて授業料はタダ。私も自分で支払ったのは食費と教科書代だけでした。国家試験合格率は9.8%ですが、将来の指導者となる人物だけに厳選していたわけです」

その後、九州労災病院(北九州市)に入職し、後進を指導しながら38年間もの間、現場で活躍。理学療法士という仕事に魅了されたそうです。


1970年代の九州労災病院運動会。車椅子でも参加できるよう、低めにパンをつるす。

「とても面白かったのです。やりがいがあるし、 患者さんたちが自分を人間として成長させてくれる。患者さんとの劇的な出会い、劇的な別れ。悲しい話、嬉しい話…10篇や20篇はすぐ物語が書ける。理学療法士というのは、そのくらい感動にあふれた職業なのです。ただし、その感動は本気で仕事に取り組み、本気で患者さんの状況にチャレンジしていかなければ得られず、 患者さんも素通りしていきます」

社会のバリアを一つひとつ外していくのも、
理学療法士の仕事

忘れ得ぬ患者さんとの感動したエピソードを披露していただきました。
一つは沖縄県の21歳男性A君。大学卒業後、就職も決まり4月1日の初出社の日にバイク事故で脊髄を損傷。ヘリコプターで北九州に搬送されました。

「昨日まで元気だった21歳の男性が、歩くことも自力で排泄のコントロールもできない状況になったら、素直に『さあリハビリを頑張ろう!』という気持ちになるわけがない。A君は特に感情の起伏が激しくて、病院からいなくなったり、暴れたりを繰り返していました。でも付き合っているうちに、A君はその時使える身体能力を使って本当に頑張るようになって、やがて車椅子さえあれば仕事や移動などやりたいことができるようになりました。脊損の障がい者たちが働く施設に就職して車椅子マラソンの選手にもなり、結婚して子どもも生まれた。障がいがあっても一人の人間として本当に堂々と生きています」


車椅子で『子連れ狼』大五郎の仮装をする半田会長(20代の頃)

もう一人は鹿児島県の高校2年生の男の子B君。やはりバイク事故による脊髄損傷で歩けなくなり、車椅子の生活を余儀なくされました。
「高校生活に戻るため、厳しくトレーニングしました。B君はどちらかというと不良っぽい子だったのですが、厳しさに耐えて頑張り、車椅子一つで階段まで昇り降りできるようになりました。完全にマスターしたので、ソーシャルワーカーを通じて学校に復学をお願いしたのですが、学校側の返事がNOだったのです」

鹿児島県のその高校には車椅子の生徒は一人もおらず、学校長をはじめ、教師陣は障がい者についての知識も経験もありません。まして、車椅子で階段を昇れるなど、想像すらできず、エレベーターがないことを理由に断られました。後で分かったことですが、どう対応していいか分からず、怖くて断ったのだそうです。

しかし、半田会長は諦めませんでした。自分の車にB君を乗せ、北九州から鹿児島の郡部まで6時間かけて高校に行き、職員会議を開いてもらい、B君本人を連れて説得しました。B君の復学を祈る在校生が声援を送る中、とうとう学校で、みんなの目の前で、B君に車椅子での階段の昇り降りを実際にやってもらったのです。ですが、まだ職員は「危険すぎる」と首を縦に振りません。しかし、熱くなった半田会長の言葉が、学校長の心を動かしました。
「『あなた方は公立高校で何を教えていますか。障がい者を差別するな、人に優しくあれと教えているじゃないですか。こいつが学校に戻ることを、なぜあなた方が先頭に立って拒否するのですか!』」
この言葉に先生方も心を打たれ、学校長をはじめとする教員の努力もあって、B君の復学は認められました。さらに、このケースは鹿児島県の人々の心を動かしました。学校でのいきさつが新聞記事のコラムに載り、「どこであれ、障がいをもった子たちが勉強したければ受け入れるべきだ」という世論を呼び起こしたのです。

「WHOはリハビリテーションの定義として“世の中さえ変えなさい”と書いています。社会にはたくさんのバリア……建物だけでなく精神的なバリアもあります。それを一つひとつ突破して行くことが私たちの仕事の一つでもあると思っています。たった一例であっても、それを社会に広げることができる。会員10万人が全員そう思えば、世の中は変えられます」

話しにくい悩みを打ち明けてもらえる
セラピストになってほしい

半田会長は若手の理学療法士に、コミュニケーションの重要性を理解してほしいと考えています。
「患者さんはそれぞれ生活環境、性格、年齢、仕事が全て違う。いくら体を触っていてもコミュニケーションが取れないと、患者さんの問題が分かりません。欧米の理学療法士は、若い脳卒中患者さんに半身不随における性行為の仕方まで指導します。性行為自体が健康面から見てどうか、半身不随での性行為はどうするのか、お産の時、育児の時はどうするのかまで関わるのが本来の我々の仕事ですが、まさか理学療法士のほうから普段の会話もなしにいきなり性行為の話はできないでしょう。患者さんの方からそういう悩みを質問してもらうには、よほど人間関係を作っていかないと。患者さんに話しにくい悩みを躊躇しながらでも打ち明けてもらい、一緒に話し合えるようになってようやく一人前の理学療法士、と私は思っています」

半田 一登 (はんだ かずと)

半田 一登 (はんだ かずと)会長

1971年(昭和46年)
九州リハビリテーション大学校 卒業
1971年(昭和46年)
九州労災病院 入職
1987年(昭和62年)
社団法人日本理学療法士協会理事
1996年(平成8年)
九州労災病院リハビリテーション科技師長
2007年(平成19年)
社団法人日本理学療法士協会会長
2012年(平成24年)
公益社団法人日本理学療法士協会会長
チーム医療推進協議会代表
一般財団法人訪問リハビリテーション振興財団理事長
2015年(平成27年)
~2016(平成28年)
リハビリテーション専門職団体協議会代表

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