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第3回障害者スキー選手 夏目堅司さん~脊髄損傷・リハビリと復活

公開日:2016.04.15 更新日:2016.04.25

スキー選手の中には受傷前からスキーをしていたというケースが少なくありません。そして大好きだったスキーを続けることが社会復帰の足がかりになっています。チェアスキーの夏目堅司さんもそうした選手の1人です。

歩くリハビリが始まらない!?


夏目選手にとって大好きなスキーとその仲間が、スキー事故から生活復帰への強い支えとなりました。

障害者アルペンスキー選手の夏目さんは八方尾根スキースクールで働いていた30歳の時、コブ斜面でジャンプとスピードを競うモーグル大会のコース準備中に、ジャンプ台の仕上がりを確かめようと飛んでバランスを崩して斜面にたたきつけられました。この時の脊髄損傷で下半身機能麻痺が残りました。
 
怪我をした時すぐに救急車で病院に搬送されましたが、そこでは手術をすることができず別の病院へ転送され、その日の夕方に手術を受けました。
「手術後に気管挿管を抜いた時、足が動いたと聞いていたので、はじめ下半身麻痺になるとは思ってませんでした」
その後1カ月ほど入院。リハビリは手術から2週間ほどで抜糸したあと開始しました。ベッドから自分の筋力で起き上がり座位になることから始まり、車椅子からトイレや椅子へのトランス(移乗)も訓練しました。訓練室ではキャッチボールもしたそうです。
「入院した時は褥瘡(じょくそう)という言葉も知りませんでした。今振り返ると、寝たきりにならないための運動でしたね」
入院中の平日は毎日リハビリがありました。けれども、再び歩けるようになるための訓練は一向に始まりません。
 
「不安と、歩けるようになる期待が半々の気分でした」

1人で受けた告知

手術後の状態が安定すると長野県立総合リハビリテーションセンターへ転院することになりました。その時、夏目さんはまだ自分の怪我や運動機能障害についてほとんど理解していませんでした。転院すると4人部屋に案内され、これから何が始まるかよくわからないまま1人、病室に残されていました。そして入院当日の夕方、院長回診で事実を知らされます。
 
「院長先生から、『君はどこまで治りたいの?』と聞かれました。そのとき『完治したいです』と答えたら、『この下半身麻痺は治らないんだよ』と告げられました」
 
前の病院では充分な告知がされていなかったのです。医療情報提供書には診断内容が記されていたけれど、それが患者に伝えられていないことを知った院長が、夏目さんに直接説明したのです。
 
「地元の友人が見舞いに来てくれた時、僕はもう二度と自分では歩けないようだ、と話しても、冗談言うなよと言われるほど、誰も実感が湧きませんでした」

障害受容の悩みを知ったPTの歩行訓練

告知後夏目さんは、どうしても歩けるようになることをあきらめられませんでした。転院してすぐ理学療法士によるリハビリをしましたが、そのとき担当したPTは、夏目さんが歩けるようになりたいと切望していること知り、その想いを汲んだプログラムを組んでくれました。
「訓練室で平行棒を使った歩行訓練をしてくれました。足が硬直する痙性がみられるので、それを使って数秒だけ立つことができたのです。けれども平行棒を往復するのに10分以上もかかりました」
その後、3カ月ほどの入院中、床から車椅子に戻ったり、椅子へトランスする訓練をひたすら繰り返しました。その間もまた自分の足で立ちたいという願いを捨てることはできず、手術のとき足がかすかに動いたという話を聞いて本当は動くのではないかと思ってみたり、障害を認めることができずに葛藤する日々でした。

パラリンピック選手が社会へと誘い出す


スラローム競技はポールに体をぶつけるようになぎ倒して最短最速ラインを果敢に攻める。

そうした夏目さんのところに長野パラリンピックで活躍したチェアスキーヤーの志鷹昌浩さんが訪ねてきました。この出会いが社会復帰への転機となります。
スキーヤーが怪我をしたという話が、夏目さんの知らないところで広まっていたのです。
志鷹さんは21才のときオートバイ事故で脊椎を損傷しました。夏目さんと同じ両下肢機能障害なので、援助のきっかけになればと病院にやって来たのです。
「身体を動かしに行こうと、病院の隣にある障害者福祉センターに連れ出されました。一緒にテニスをしたんです」
 
そこは障害者を対象としたスポーツセンターで、車椅子でも楽しめる環境が揃っていました。しかしうっかり無断外出だったので心配した院長から怒られたそうです。
「でも、おかげで久しぶりに身体を思いっきり動かして、とても楽しくて気分も晴れやかになりました(笑)」
思い悩んで心を覆っていた殻に小さなひびが入りました。車椅子でスポーツをすることができると、このとき初めて知ったそうです。退院間際のことでした。

チェアスキーヤーが在宅復帰をサポートする

その後、リハセンター隣接の厚生施設に3月までの半年間入所して、在宅復帰に向けて具体的な準備が始まりました。運転免許を取得したり、自宅の改修工事も行いました。このリフォームでは建築関係の仕事をしているチェアスキー日本代表選手の谷口彰さんがアドバイスしてくれました。
 
そのほか男性障害者ならではの裏技もスキー仲間たちが教えてくれました。トイレで導尿カテーテルを抜去するとき便器に近づいてすれば尿瓶を使わずにできる方法は、看護師が教えてくれた方法よりも生活では都合がいい当事者ならではの工夫です。車椅子も最新のモジュール型(既製品とオーダーメイドの中間のような、体に合わせた車椅子)を作りました。在宅復帰に向けてサポートしてくれたチェアスキーヤーたちは、みんなが走行性能に優れたモジュール型に乗っていたので、折りたたみ式の普通型車椅子は最初から選択肢になかったそうです。褥瘡予防で定評のある海外製エアクッション(いくつものセルで構成され、障害にあわせて調整できる)も使うように彼らからすすめられました。
 
入所中、リハビリとしての訓練はほとんどしていなかったけれども、障害者福祉センターでするテニスに夢中でした。そしていつしか障害受容も大きく前進していました。
 
「歩けなくとも他の方法があると思うようになっていました。暗闇だったところに細い道が見えてきました」

チェアスキーの初滑り「滑りたい」気持ちがこみ上げる

仕事は八方尾根スキースクールで続けられることになりました。国内有数の大きなスキー学校なのでオフシーズンも事務仕事があります。それを半日勤務で担当することになったのです。月収12万円でしたが、実家暮らしで1人生活していくには充分でした。
 
受傷後の初スキーは厚生施設に入所している時だったので、怪我した翌シーズンという早さです。いつもテニスをしていた長野県障害者福祉センター サンアップルのスポーツ指導員とともに出かけた久しぶりのゲレンデで待ちかまえていたのは、チェアスキー選手たちでした。今シーズン、ワールドカップ総合優勝した森井大輝選手もその中にいました。
「森井さんに、自転車と同じだからと言われて滑ったら、最初のターンであっけなく転倒しました(笑)……でも、スキーで滑るのが気持ちよくてね」
受傷前まで夢中だった、スキーの風切る感覚を思い出した瞬間を、夏目さんは笑顔で振り返っていました。
そのあと、志賀高原スキー場で開催されている全日本チェアスキーチャンピオンシップを観戦しに出かけました。そこで選手たちの滑りを目の当たりにしたそうです。
 
「大好きなスキーで、自分も同じように滑りたいと思いました」

パラリンピックをめざすには?


ゴールエリアでテレビ取材を受ける夏目選手。トップアスリートが活躍する姿は、リハビリ中の患者にとって復活の灯でもある。

そして怪我から2シーズン目、夏目さんは日本代表チームのヨーロッパ合宿に同行していました。スキーのテクニック自体はまだ世界で戦えるようなレベルではなかったけれど、このシーズンからチェアスキー中心の生活になり、ソチパラリンピックにも出場。現在は2年後に開催されるピョンチャンパラリンピックをめざして、トレーニングする毎日です。
 
パラリンピックをめざすには、合宿や海外遠征で年間数百万円の費用が必要です。多額の傷害保険金を受け取っていましたが、その資金もいつかは底をつくでしょう。そうした悩みに直面していた時、今のスポンサー企業と出会いました。
日本オリンピック委員会(JOC)が始めた就職支援制度を使って選手雇用を希望した、磁気治療器製造販売のジャパンライフです。そのとき紹介されたのが夏目さんでした。この制度を使ったパラリンピック選手の第1号になり、現在スポーツ選手としての活動を全面的に支援してもらっています。

スキーで絶望したけど、スキーが人生を支えている

八方尾根スキー場のパトロールをしている妻とも結婚。スキー中心の生活を取り戻した夏目さんですが、それをサポートしたのはスキー仲間たちでした。いわゆる当事者同士のピアカウンセリングです。パラリンピックは選手人口が少ないので有望選手の発掘はつねに課題ですが、そうした中、有名スキー学校のインストラクターが怪我をしたという情報はすぐに広まり、チェアスキー仲間にすべく夏目さん包囲網が敷かれたといえるでしょう。
 
彼にとってスキーはアイデンティティそのものです。そのスキーによって歩けなくなったことの喪失感は並大抵のことでありませんが、人生の回復に導いてくれたのもスキーとそこまでを支えてくれた人たちでした。

安藤啓一

安藤啓一(あんどう けいいち)

福祉ジャーナリスト。大学在学中からフリー記者として活動を始める。1996年アトランタパラリンピックをきっかけに障害者スポーツの取材をはじめる。夏冬パラリンピックや国内大会を多数取材。パラリンピック関係者に読み継がれている障害者スポーツマガジン「アクティブジャパン」「パラリンピックマガジン」記者などを経験。日本障がい者スポーツ協会発行誌『No Limit』などの媒体にも寄稿している。取材活動のほかチェアスキー教室講師としてもスポーツに取り組んできた。共著に「みんなで楽しむ!障害者スポーツ」(学習研究社)がある。


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